2014年12月29日

ある団塊 怪しげな家庭教師たち

●怪しげな家庭教師たち

我が家の店には顔見知りの学生も大勢訪れ、ある時父は鹿児島出身のKさんという柔道部の学生を息子の家庭教師に付けた。彼の勉強はいつも脱線し、何故か小学校では学んでいない英語の発音まで自分に教え始めた。ことに冠詞の“the”を、舌を前歯に付けるようにして“ザ”ではなく“ズィ”と発音するのが正しいと盛んにやって見せた。だが、普通に話しているときにも激しい鹿児島訛りが英語と混じりあっている。教わる側には何が何だかさっぱりわからない家庭教師だった。勉強が終わると父はご機嫌になって彼に酒とご飯を振る舞うので、この家庭教師は毎晩“英語 ?”を教えに来るようになった。

すると松風の倅の家庭教師をすると、飯と酒を振舞ってくれるとの噂が広がり、柔道部やレスリング部やら剣道部やらの猛者たちが家庭教師を志願してきた。お陰で毎晩運動部出身の、家庭教師には到底向かない怪しげな“先生”が何人も我が家を訪れるようになった。そして武勇伝から性教育まで学ばされ、幅広い人格形成には大いに役立ったが、成績はさっぱり上がらなかった。

父は陸軍時代、柔道と剣道で4段の有段者だったので、そんなこともあって例え“怪しげな家庭教師達”であっても、運動部の学生達が好きだったのかもしれない。

この中の一人で仙台出身のレスリング部のIさんは、ある時酒に酔って、店の二階の宴会場の塗り立ての壁に、げんこつで大きなこぶしの跡をつけ、父からお大目玉を食らっていた。

このIさんが卒業後香港に渡り、警備会社の会長となり、レスリング部だったのが何故か香港の柔道オリンピック選手団長に就任して、香港ではすっかり名士となっていた。因みに息子さんの名前は「竜馬」と名付けていた。I氏は時々日本に帰ってきては、早稲田のまちでレスリング部のOB会があると、部では後輩にあたる、あのロサンジェルスとソウル・オリンピックでの二大会連続銀メダリストの太田章早稲田大学助教授が出迎えていた。人の人生とは分からないものだ。

早大 レスリング部練習場 写真.jpg


早稲田大学 体育館 写真

http://www.hkpost.com.hk/index2.php?id=9329 - .VKEFZV4gA

ここをクリック
Iさんのインタビューとそのオフィスの写真]

●大学の職員にもツワモノが沢山いた

 自分が小・中学生の頃、大学の職員にも夜毎、大学周辺で飲み歩いていたツワモノ職員がいた。しかも勘定は毎晩付けで早稲田界隈を飲み歩いていた。
庄司さんと小暮さん。中でもこの二人(S.Kコンビ)の体育局職員は早稲田界隈で付けで飲み歩くことで有名だった。二人は神楽坂の方にも足を延ばし、付けで飲み歩いていた。独身だった庄司さんが定年間際になって神楽坂の小料理屋の女将と結婚した、という噂を聞いた。これも噂話だが、庄司さんはこの小料理屋の借金を退職金で支払うことにして、その証文代わりに結婚したとのような話を人づてに聞いた。

神楽坂 小料理屋街 写真.jpg

神楽坂の小料理屋界隈

ある団塊 No.22 2014.12.29.
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。