2014年12月30日

ある団塊 11歳のオートバイ少年

●バイクで早稲田のまちを駆け巡る小学生

都電早稲田停留所のすく近くに、虎屋という和菓子店の隣りで精肉店を営む叔父の店があった。この店は当初自分の父が支店としてラーメン店を営んでいた。それを、プロのカメラマンで生計を立てようと目論んでいた父の弟(自分の叔父)がまずは独立して食べていけるよう、自分の父が店を兄弟の末っ子の弟にこの店を譲り渡した。店には、配達用の本田スーパーカブが2台置いてあった。自分より少し年上の中卒の住み込み従業員が二人いて、彼らがこのバイクを配達に使っていた。

カブ 竹製の二籠 写真.jpg

ホンダ・スーパー・カブ 竹製の荷かごを積んだ 50CCエンジン

自分はこのバイクのシートに座ってエンジンをかけることが好きで、よくやっていた。エンジンを掛けるとバイクの軽快なエンジン音が体に響いてきた。そして衝動的に自分でオートバイを運転してみたくなった。荷台には配達用の大きな竹製のカゴが取り付けられたままだった。以前から大人用の自転車は、三角乗りで乗りこなせていたので、オートバイも運転できる自信は何となくあった。セル式(ハンドルについているボタンを押すだけ)のエンジンをかけ、スタンドをはずし、恐る恐るハンドルの取っ手部分のアクセルをひねると、オートバイをバランスよくスタートさせることが出来た。近くをぐるぐる回っているうちにすぐに運転は慣れてきて、少し先まで遠征してみることにした。

店の前を北の方向に直進し、豊橋を渡って神田川を過ぎる。その先にあるクランク型の道路を曲りながら豊坂までたどり着き、坂を登りきると目白通りとの交差点があり、赤信号だったために一時停車をした。道路の先には日本女子大学があるところだ。豊坂を登りきった交差店の左角には交番があった(今でもある)。すると大人にしては小柄な運転者であることにき気付いた交番の外にいたお巡りさんがバイクから降りるよう自分に命じた。交番の中に連れられ、未成年者でしかも小学生が無免許(当然免許を取得できる年齢ではない)で運転していたため、保護者名を尋ねられたので都電早稲田停留所の近くにある叔父の名前と店の電話番号を伝えた。お巡りさんはすぐに叔父に電話を掛け、甥を交番まで迎えに来るように伝えた。やがて叔父が来て何やら書類のようなものに記入をして、自分は叔父と共にバイクを押しながら店へと戻っていった。これがはじめての交通違反だった。

豊坂 写真.jpg

日本女子大 豊坂交差点交番 写真


●余談
 昨年(2013年)、90歳になった叔父がつくば市から早稲田のまちまで、片足を失ってしまった自分を見舞いに一人でやってきた。積もる話をしているうちに、自分が小学生の頃に叔父の店のオートバイに乗って交番で保護されたことの話にも触れ、暴走少年の甥っ子についての思い出話に花が咲いた。それにしても90歳にもなっても叔父は元気で、若い頃写真家だったので数多く取り貯めた鉄道写真などをパソコン(DVD)に保存するために、帰りにはヨドバシカメラで必要な機器を購入していくとのことだった。自分達の団塊世代もこのような高齢者になっていたいものだ。

ある団塊 No.23 2014.12.30.
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